混じりけの無い気持ちで会うこと
まだ、瞑想の先生に出会ってすぐの頃、ずいぶん昔の話です。
年はとっているのに、心が成熟していなかった頃の話です。
今、心が成熟しているか…というと、それも疑問ですが…(笑)
アメリカのアシュラムで、私は先生の隣で日本人の通訳をしていました。
日本から初めて先生にお会いする方たちが来ると、
私は先生に皆さんを紹介する為に、先生のそばで通訳をする事が
修行のひとつでした。
先生は、初めて会う日本人の名前を一人ひとり確認するように
本当に優しく呼びます。
そのたびに、私のエゴは燃えて悲しさに打ちひしがれました(笑)
なぜって、先生は一度も私の名前を呼んで下さったことが
無かったからです。
先生のとても近く、本当にそばにいる時間がとても多いのに、
先生が私を呼ぶときには、
①translater(通訳の子) ②Japanese girl (日本の女の子)の
どちらかでした。
『先生の近くで、特別な事をしている特別な私!』…と思っていたから
きっと、先生はその私のエゴを焼いてしまおうと思われたのだ…と
今になれば分かります。
それでも、その頃の私は名前を呼んで欲しい…という気もちを
止めることができませんでした。
名前を呼ばれるということが、先生から認められていることと
同じ事だ…と思っていたからかもしれません。
その気もちはグングンと強くなって2年間位続きましたが(笑)
先生は、、決して私の名前を呼ぶことがありませんでした。
その間、先生に日本人を紹介する修行も相変わらず続いていたし
瞑想に使うブレスレットや、私の修行を進ませるものについて
その他のことは、何でも与えられました。
けれでも、一番欲しいこと…『名前を呼んでくださること』は
決して与えられませんでした。
あるときインドで、先生に相談に伺うことがありました。
自分がしている通訳の内容について、本当に謙虚な気持ちで
先生のそばに、伺いました。
私が先生からどんな風に見られているか…
その事を忘れてしまうくらい、その仕事の内容が大切でした。
突然先生が ”mutsumi mutsumi Come and sit here!”と
おっしゃって、先生のすぐ隣に私を招きました。
本当にびっくりしたのですが…、
その時の私は、名札をつけていませんでした。
先生が、私の名札を読んで、名前を呼ばれたのではなくて
私の顔をみて、名前を呼んでくださったのです。
一瞬、何が起きたのか…分かりませんでした。
でも、その時には自分が名前で呼ばれたい…とは、
思っていなかった…という事がはっきり分かっていました。
そして、まっすぐ先生と向かい会うことができました。
まっすぐ向かい会うために、相手が私を愛しているかどうか
相手が私を認めているかどうか、そんなことは関係ない…ということが、
しばらしくしてからですが良く分かりました。
今考えると、本当に面倒くさい性格だったと思います。
自分が相手からどう思われるか…について、
相手を探ったりして、必要以上に気をつかって、
本当に大切なこと、つまり自分がどう向き合うか…ということ
そのことが全然わかっていなかったのですから。
私が『見られる人』から、『見る人』にシフトした
初めての体験だったのだと思います。
それは、私の人生を変えるほどの大きいシフトでした。
先生は、こんな風に時間をかけて、私の変わる瞬間を待って
いつも教えを下さいました。
『師と弟子』の関係は、本当に深いものだと思います。
水仙の香りは、心を透明にします。
もうひとつ好きな香りが
沈丁花。
家に帰る途中でいつも香るのに
どこにあるのか分かりませんでした。
つい先日、斜め向かいのお家に
小さい株があるのを
見つけました。
ちょっと感動しました!
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