自分の評価を下げる。
自分の身の丈を生きることをあきらめる…
その始まりを、私は良く覚えています。
それは、他人からの評価で始まることなのだ…ということも。
たいていは、子供のときに始まって、
本当の自分の中の気持ちとよじれていきます。
そして、そこからまた自分の身の丈に戻るために
とても長い時間を生きなければならなかったりします。
その一番最初のときのねじれを、私は、はっきりと覚えています。
小学校の高学年のときの先生は、
若い頃、海軍にいて特攻隊だったというのが、自慢でした。
私は、とても大人びたところと、幼いところを持った子供でした。
甘やかされて育ったので、一人でできないことや分からないことが
沢山ありました。
小さい頃の私は、集団で動く事が苦手で、(今でもそうかな?)^^;
先生は、私が自分のペースで動くことが、
全く気にいらなかったのだと思います。
たぶん、先生は、そういう私のことを鍛えようと思われたのでしょう。
5年生になって、その先生に変わってからの初めての通信簿で、
体育の成績に、5段階評価の2をつけられました。
父も母も、そのことに驚いて、私に何があったのかを聞きましたが、
私にも理由がわかりませんでした。
今考えれば、
たぶん、人と一緒に同じ事を揃ってやることができない…という
それだけの理由だったように思います。
そして、それは先生からの罰だったのだと思います。
子供の直感で、先生はキビキビしてない人を、許さないんだなぁ~…と
思いました。
自分は、人と比べて足りないのかなぁ~…と思いました。
それから、みんなと一緒に行動することや、頑張ることを
努力しましたが、結局今になってみれば
子供の頃の自分とちっとも変わっていないような気がします。
だって、今はゆっくりと個人のペースで動くヨーガを教えていて、
日常だって、ちっともキビキビした団体行動をとることができない。(笑)
人生に無駄なことが一つも無いとすれば
あの先生に出会ったことも、きっと大事なことだったのだと
思いますが、どうかな?
何を学んだのかな?
そう考えると、あのときの先生を、いつまでも怒っていては
いけないような気持ちがします。
私も、あの先生と同じように、
自分の価値観を人に押し付けて生きてきているのかも
しれません…
そう思うと、姿勢が伸びる心持がします。
学びに変えることができるなら、何一つ無駄なことはない…
大人になってから気づいたとしても
人生を新しい視点で、新しく生き直していくための
きっかけだったのかもしれませんね。
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