1か月もたって新年の決意をするのは遅いかもしれませんが、
2013年の決意は、「Crystal clearであること」です。
「クリスタルクリア」とは、一点の曇りもない明瞭な状態であること。
そして、事実はひとつだけで、腑に落ちている状態であること。
これは、今の私が理解できるだけの分量の言葉の定義です。
それは、とても難しいかもしれないけれど、
一生をかけて取り組むくらい、大切なことだと思うようになりました。
私が仕事を始めるときに、
事業所の名前を「クリスタルクリア」にしよう…と思いました。
無意識の中でも、それは、私のゴールだったようです。
今日から、また新しい「初めの1歩」を歩き始めようと思います。
昨年の12月8日に母が亡くなって、
それから、あっという間に時間が過ぎました。
色々な方にお見舞いの言葉やお心づかいを頂きましたが
それでも、1月になってからしっかりと体調を崩しました。
漢方のお医者さんに行ったら、
「まだ2か月も経っていないのだから、仕方がないね…」と言われ
母を亡くしたことで、身体は、特に足元は空っぽになってたのに、
頭の中は、いろいろな考えがみっちりと詰まって、アンバランスで
そしてそれを表現する方法も見つかりませんでした。
漢方薬(生薬)を煎じて、少し苦いけれども、暖かい薬を飲むうちに、
深いところから身体が元気になっていくのことが分かりました。
そして、FBを読んで、自分が何かを書くことはできないけれど
皆さんにコメントすることができるようになりました。
色々な人が色々な考えで生きていることを、改めて思いました。
私自身が空っぽだったので、「持っていない」視点から見ていくと、
「持っているもの」について投稿する人たちのポジティブな話を
まるで自慢話のようだ…という気持ちで読むことになりました。
今までそんなことはなかったので、本当にとまどいました。
けれども、身体が元気になり、瞑想の先生のメッセージを読み
(後で記します)私がクリスタルクリアな状態である限り、
今、誰かが持っている(所有している)と考えているモノや人を
嫉妬することはないということ、今私自身が「持っているモノ」でさえ
本当に自分の持ち物なのか…ということも考えました。
私が「持つこと」「持たないこと」という視点から感じとることは
クリスタルクリアの視点にたって考えると、真実ではないことが、
よくわかりました。
そう考えると、「持っている」ことをFBに投稿する人に対して、
祝福を贈る気持ちを自然に持つこともできるようになりました。
まだまだ、母のことを想うと涙がでることがありますけれど、
亡くなった母と私との新しい関係を作ることができた…
ようやく、自分に戻ることができた…もしかしたら、
新しい自分になることができた…そう思いました。
私が元気になった理由の私の瞑想の先生からの
2013年1月1日の新年のメッセージの一部分を載せます。
日本語は私の翻訳です。(公式のものではありません)
このメッセージの中で、クリスタルクリアという言葉が
使われていたこと。今年の私の仕事への祝福として
喜びを感じています。(勝手な思い込みですが…)
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A Sweet
Surprise© 2013
Gurumayi’s Talk in A Sweet Surprise Satsang
New Year ’s Day in Shree Mukutananda Ashram
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Happy New Year.
Be crystal clear.
Ever be sincere.
Always persevere.
Have no fear.
Live in God’s sphere.
This is my message to you,
my dear,
for a Happy New Year.
新年おめでとう。
一点の曇りもない明瞭な状態でいなさい。
常に誠実で。
いつでも忍耐強く。
何も恐れないように。
そして、神の領域で生きなさい。
これは私の、愛するあなたへのメッセージです。
新年おめでとう。
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1月6日に友人から届いた
カサブランカの花です。
最初は18のつぼみでした。
今は、6つの花が咲いてます。
てっぺんのつぼみなので
茎がもろくなってしまって
厚紙でサポートしています。
まだ香りが届きます。
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