先生から学んだこと

由香里先生に指導碁をして頂いた♪

5月から、3ヶ月間続けてきた囲碁クラスの最終日でした。

最終回には、先生と対戦することになっていたのですが、
とうとう、その日がやってきた…というわけです。

クラス全員が、2チームに分かれて、
王唯任先生と、梅沢由香里先生に指導碁をして頂きました。

私は、由香里先生のチームで、
私たち生徒が一つずつ囲碁盤を並べて、9子を置いて、
先生が順番に1手ずつ打ってくださるという形式でした。

由香里先生の、囲碁盤に石を置く音が、今も頭の中に響きます。

囲碁が終わってから、
由香里先生が【攻めるセンスがありますよ】と励ましてくださったので、
ちょっと恥ずかしかったですが、
それでも、子供のような気持ちで、素直にとても嬉しかったです。

それに、技術がともなえば…とも言われました。^^;
そうですねぇ~…これから練習しだいですよね。

最初が、最初でしたからね… まったくゼロのズブの素人でしたから。

ちょっとでもできれば、凄い進歩って思っていいですよねぇ!

う~ん! 頑張ろう♪

今まで、全然できなかったことに挑戦して、
そして下手ながらも19路盤をうつことが、できるようになりました。

【できる】ことが増えるって、こんなに嬉しいことなのか…と
夜寝るときに、またしみじみと思いました。

囲碁クラスの帰りに、クラスの人たちと、こんな話をしました。

私たちが囲碁を勉強して、できない理由を考えて、
少しでも努力して頑張ったことに対して、
指導してくださる先生たちが、本当に喜んでくださるのが伝わるね…って。

そして、私たちも囲碁を勉強する事、囲碁を上手になることで
先生たちを喜ばせたい…という気持ちが、でてくるよね…って。

だから、みんなが初段になるまで、一緒に頑張ろうね…って。

私は、すぐに初段になるのは、まず、きっと無理ですが ^^;
目標として、いつかは初段をとりたいと思っています。

いつになるか分かりませんが、
初段をとれるように、ゆっくりと楽しく囲碁を続けて
仲良しの友人を沢山持ちたいと思います。

学びたい事があったら、いつ始めても、けっして遅くはない…
そんな学びがあったことを、とても嬉しく思っています。

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私はワイルドでした!

今から20年位前の私は、超ワイルドでした。

瞑想の先生に、"You are so wild ! " と言われたのですから…
極めつけですね!(笑)

今よりも、もっと荒削りで、考えたことをすぐさま行動して、
結果、一杯傷つきました。他人のことも、傷つけたと思います。

知らずに、相手の地雷を踏んでしまって
良く分からないうちに、戦闘状態に陥る…なんてことも
よくありました。

でも、今の私よりも、もっと強く、
何かを最後まで信じる気持ちや、純粋さを持っていました。

人の評価を気にしないで、自分を信じていたし、
まっすぐに生きていたように思います。

今は、そのワイルドな自分を少し懐かしい気もちがします。

最近は、自分と違う意見や、行動をとる人に対して、
『その人にはそうしなければならないような理由があった!』…と
考えるようになりました。

すぐにはそう思えなくても、時間をかけて、相手の気持ちを
考えるような癖が少しずつですが、ついてきました。

本当に、今更何を言っているのか…恥ずかしいのですが、^^;
私にとって、日常の生活が、窮屈な視点を変えるための修行だと
思います。

日常を穏やかな心で、過ごしている人生に向かうプロセスです。

今日の1枚。

080728_001_4   

帰り道に、雲がきれいでした。
夏の雲ではなくて、秋のような鱗雲が出ていました。
夕食の買い物袋を提げながら、何枚か写しました。

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みるみる内に、雲がピンク色に染まりました。
うっとりするような色彩が広がっていきました。

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家の近くの辻まで歩いて来たら、こんな空に出会いました。
インドで見た夕焼けの色でした。

暑いけれど、少しずつ季節は秋に向かって
移り変わっていくのかもしれませんね。

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私があなたを助ける!

少しずつですが、お仕事の声を掛けて頂くようになり
本当に有難く思っています。

自分から仕事を開拓するのは苦手だ…ということが
最近ようやく分かってきました。

今ある場所で、一生懸命に自分のできる事をしていると
必ず私を見つけてくださる方がいて、
仕事を一緒にやりましょう!…と言ってくださいます。

それは私が考えてみたことの無い事だったりして
チャレンジする事も多々あるし、
その結果、失敗してしまう事だってあるのですが
それでもこのやり方が、今の自分の仕事の幅を広げてくれるという
直感で動いています。

私は、とても不器用な人間なので、
自分をメンテナンスする時間が無くなってきて
それに加えて、誰かを助ける状態が重なると
(例えば、今回のように母が入院したりすると…)
『もうこれ以上はできない!』と思う事がよくあります。

家事と仕事の両立もそのひとつで
夫にはかなり我慢してもらっているようです。

そういうときに、瞑想の先生がおっしゃった事を
繰り返し思い出します。

『自分に力が無くて駄目になりそうだと思っても
目の前の人に助けを求められたら、助けてあげなさい。
あなたの事は、私が助ける。』…というものです。

もうひとつは
『人に迷惑をかけないように、自分のことをまずやりなさい。
それから人を助ける事をやりなさい。』っていうもの。

相反していますが、両方とも真実ですね。(笑)

『恩恵と自己努力は鳥の両翼!』という言葉があります。
ふたつの翼がないと、鳥は空を飛ぶ事ができません。

一生懸命にやっている(自己努力)と、
どこかに心の余裕があると、誰かが助けてくれる(恩恵)のです。

自分で全てをやろうと思うと、自分しかいないと思うと
胸が苦しくなります。 最悪の事態ですね!

大丈夫、守られているから… 愛されているから…
ひとりぼっちじゃないから… 

少し疲れていますが、
その体験をするために、心の豊かさを感じる為に
これから、黙って夫の靴を磨く事にします。

今日の1枚。

080713 以前夫が買ってくれたガーベラを
 大きい植木鉢に植え替えて
 外に出しておいたら
 こんなに育ちました!

 以前は可憐な花だったのに
 ワイルドな感じになりました。

 う~ん!
 自分自身を見ているようだなぁ!

 結婚したばかりの頃は
 今よりも可愛かったと思うのだけど…
 外の風にさらされて強くなった!

 今は、私は超ワイルドなんです。(笑)

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気持ちを切り替える言葉 その2

昨日の『気持ちを切り替える言葉』の続きです。

『私のプロフィール』にも書いてありますが、それは…
Happens for the Best !

そのまま翻訳すると『起こる事は最良の事!』となりますが、
ジーニアスの英和辞書をひくと『for the Best 』には『悪くみえていても…』
という意味があります。

瞑想のプログラムの中で、『人間万事塞翁(さいおう)が馬』という話を
先生がアシュラムで何回もお話しました。

私は同時通訳ブースに入って、先生の話を日本語に通訳していました。
そのとき、本当に心も身体も深く納得したことを、思います。
今も最高の教えだと思っています。

ところで…皆さんは、このお話をご存知ですか?

塞翁という人の馬が逃げてしまって、村の人が『それは残念!』と
言うと、塞翁は『それはどうかな?』と応えます。

逃げた馬が、沢山の野生馬を連れて帰ってきたときに、
村人が『運がいい人だ!』と言っても、塞翁は『そうはどうかな?』と
応えます。

その沢山連れてきた馬に乗って、息子が遠出をしたところ
息子は馬から落ちて、一生歩けないという大怪我をします。
すると、村人達は『それは大変にお気の毒!』といいます。
けれども塞翁は、また『それはどうかな?』と応えます。

そうこうしている内に、隣の国が攻めてきて、村の青年達が
戦争に行って、全員戦死するということがおきます。
けれども、塞翁の息子はけがをしていて戦争に行けなかったので
命が助かります。すると村人が『あなたは本当に運が良い!』と
またいいます。塞翁は、『それはどうかな?』と応えます。

こんな風に話が続いていきます。
今起こっていることが、悪いと思っても最良のこと…という
意味を理解するのに、とても腑に落ちるお話です。

自分の人生の中で、最悪だ…と思っても、それが後になると
幸せのきっかけだったり、あの体験が無ければ今の私は無かった…と
思うことが良くあります。

後になって、良かったと思うなら、今、その瞬間にそう思えれば
どんなに人生が楽になるでしょう。

そういう意味で、この言葉は私の座右の銘です。

クヨクヨしそうになると、心の中で何回も繰り返します。

『今はそう思えなくても…起こる事は最良の事!』

今日の1枚。

080108_15260001_2 高尾山頂駅にあった、むささびの置き物です。

身体に幕がひらひら着いていて
飛び回るときにそれが開いて、パラシュートのように
広がるらしい。

そういう身体を持って生きているというのは
どんな感じなのでしょう?!

今の自分以外の身体になった感じって、どうだろう。

ちょっと好奇心が湧きますね!

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気持ちを切り替える言葉 

普段、元気な私ですが
時々本当にグッタリとして、電車の中で椅子に座りたいなぁ!…と
思うことがあります。

私は電車の中では、疲れていても居眠りをしないで
色々なことを考えるのが好きです。
ですから、一人で電車に乗る事は、苦痛ではありません。
(もちろん、全然居眠りをしない訳ではありませんが…)

話を元に戻すと… ^^;

わざわざ1台乗り過ごして、やれやれ…と始発電車に座ったのに
すぐ次の駅で私のまん前にお年寄りが立つことがあります。
私は、お年寄りを引き寄せるオーラがあるのか…と思いますが
そうは言っても突然居眠りはできませんね。

そういうときに役立つのが『気持ちの切り替え言葉』。

『天国に富を積む!』とか、『愛のある方を選ぶ!』という言葉です。

この言葉を思い出すと気持ちよく『どうぞ!』と席を譲ることができます。
自分の気持ちを切り替えてくれる魔法の言葉だと思います。

心と身体がつながっている…と思うのは、そういうときです。

私は、瞑想の先生が喜んでいらっしゃるような気がするので、
本当に元気になるのです。

本当は迷わず席を譲れるような人だと良いのですが、
まだまだ修行中の身… こういう少しの気持ちの切り替えが
私を成長させてくれると信じて、自分に少し優しくしてみようと思います。

明日は、瞑想の先生が教えてくださった、とっておきの切り替え言葉』について、
書くことにします。

どうぞお楽しみに!

今日の1枚。

080204_001

例の雪像芸術家の方の別の作品… 雪がとけた今日もまだ残っていました。

我が家の方は、寒いのでしょうか?

いつもはフラフラしているノラ猫ちゃん達の姿も見えず、
彼らは、雪の日はいったいどこにいるんだろう?…と
心配しています。

TVの天気予報では、これから暖かくなる…というので
本当に楽しみです。

花粉の方はお気の毒! 夫はヒノキ花粉なので、時期になると
クシャミの連発です。
でも、私は桜の咲く3月の終わり頃がBESTシーズンなので
もう今頃から、ワクワクしています。

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New Year's Resolution(新年の決意)

30代の頃の新年は、インドのアシュラムで迎えることが
ほとんどでした。

クリスマスからお正月にかけて、インドはとても過ごしやすい時期です。

先生は、今年の新年の決意は何ですか?…と、
毎年私達に決意を新しくするようにと伝えました。

インドのお正月は、大体11月下旬から12月頃、
そして西洋歴のお正月は、1月1日。
それから、Chinese new year が、2月頃にあります。

新年が何度もあるのは良いこと。
その都度、何度でも決意を新しくしなさい…とおっしゃいました。

日本でも、1年の計は元旦にあり…と言いますが、皆さんはいかがですか?

私の今年の決意は、2つ。

ひとつは…
(心でどんなことを思っても仕方がないけれど…)←言い訳がましいですね!
すぐに言葉にすることは、やめよう…ということです。

沢山瞑想して、心の内側から美しくなれば、
嫌なことも、悪口も思わなくなるのでしょうが…(笑)
まだまだ、そこまで達することが無いのであれば…
せめて、言葉にする前に一呼吸置こう…と思います。

その言葉が、相手を励ますか…相手を勇気付けるか…
次の人に対して良い連鎖を生むか…
考えてから、言葉にしようと思います。

もうひとつは、『情熱と感謝』…
どんな時にも、その心の立ち位置から始めます。

これが今年の決意です。

今年の大晦日に、自分のことをどう思えるか… 
今日から、新しい自分になって修行を始めます。

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情熱と感謝!

随分前になりますが、ヨーガのクラスの中で
ある生徒さんが仕事について話していた時に、『情熱と感謝!』と言いました。

その言葉が出てきた経路を話すと複雑になるので省略しますが
『なんて上手い表現だろう!』と感心しました。

情熱と感謝が無い場所では、仕事がふくらまない…という感じ。

情熱と感謝が無ければ、全てがドライです。

昔、アシュラムでハウスキーピングのスーパーバイザーをしていた時に、
相手がしてくれたことが、自分の思うような結果ではなくても
『有難う!』を伝える…という決め事をしていました。

感謝を伝えることが人の力を引き出す…ということを体験したからです。

本当は、悪いときに注意しないと人は怠ける…と思うのは間違いで、
実は、感謝することが大切です。

感謝が人を働き者にするのです。そうです!情熱を持って感謝するのです。

自分の為に頑張ったことなのに、
瞑想の先生が私に『有難う…』と言ってくださったことがあります。

自分が努力することが、最初は自分の為だとしても、
それが誰かの為にできるようになる…

今思えば先生は私の成長を励ましてくださったのだと思います。

感謝して受け取る。
感謝して差し出す。

それに情熱を込めて…

人生が深く厚いものになるような気がしませんか?

今日の1枚。

078_3  富士山!

ただその存在だけで
手を合わせたくなるような存在。

先日お会いした方が
『富士山のいつも見える場所に
 引っ越したの…』と言いました。

毎日富士山と向かい合ったら
自分の中に嘘がなくなるような
そんな気持ちがします。

息を呑むほど、美しいです。Breath taking !  です。

 

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愛を受け取ること

インドのアシュラムにいた時に、
毎日お昼にダルシャンという時間があって、先生にお会いすることができました。

アシュラムには、本当に沢山の人が住んでいるので
先生と個人的に話したり、先生から声をかけて頂く事は稀なことでした。

けれども、自分で言うのも何ですが…(笑)
私は、日常的に先生から言葉がけや微笑を沢山頂いていました。
子供にするようにほっぺをつねられたりすることもありました。

それが、ある時を境に、先生は全然私を見て下さらなくなりました。
ダルシャンに行っても、私の隣の人とはお話なさるのに、
私に対して、完全に透明人間のような扱い方をなさいました。

それが、1ヶ月くらい続いて、本当に本当に辛くなってきて
ある人に相談したところ、『先生も大変ね… あなたに気付いて欲しいから
ずう~っと、そうしていらっしゃるんでしょう? 
先生は、きっと、あなたに何かを学んで欲しいと思っているのよ!』
…そんな風に言われました。

確かに、私に会うたびに、先生が私を見ないことを完璧に続けるというのは、
とてもとても意図的だと思いました。

そして、ある時 ハッと思いました。
『私は、今まで愛情を受け取るときに、条件をつけていた。
でも、愛情の示し方は相手にとって、完全に自由なんだ…
私の思うようなやり方では無いかもしれないけれど、
先生は私を愛してくださっていることを他の方法で教えようとして
下さっているんだ』

微笑んだり、話しかけたりされなくても、
それが先生の愛情の示し方なら、それをそのまま受け取ろう…
そんな風に心に決めて、赤い薔薇の花を1本持って、先生に会いに行きました。

先生の前に座って、
心の中でお詫びをしながら頭を下げて薔薇の花を差し出すと
先生は、私の目をじっと見つめて、うなづきながらニッコリとなさいました。

それから、少しずつ先生と外側の接触が少なくなり、
内側からの教えに変容していきました。
弟子の試験を受けて、少し理解が深まったのかもしれません…
ひとつパスすると、また難しい試験がやってくるのですが…。

私はその時以来、愛情を受け取る事に対して、随分楽になりました。
相手の外側に惑わされず、自分の内側から感じるものを信じることが
出来るようになってきました。

時には、間違えることもありますが、今は概ね大丈夫か…と思っています(笑)

今日の1枚。
070916 今日は、夫と一緒に中華街に行って
中華料理のコースを食べてきました。

お腹一杯になって、
フラフラと歩いていたら
中国のお寺にたどり着きました。

長くて太いお線香を、5箇所に捧げてから
中に入ってお参りするのですが
私達は外で写真を撮るだけにしました。

ちょっと見ると、東照宮陽明門のよう。

若い女の子たちが、みんな真剣に
お祈りしていました。

彼女達の恋が叶いますように!

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精神世界の落とし穴

瞑想を続けていると、自分の内側のメッセージが強く聞こえて
それに従いたい…と思うようになります。

本当に、そのメッセージが本質としての自分の内側からのものか、
あるいはマインドからの偽りの声なのかを判断することは、
難しいことですね。

本当の内側のメッセージを、どうやって見分けたらよいかと質問した人がいて
その時の先生の答えは、何度も間違えること…だったように思います。

そのメッセージを実行に移して、そして結果が違ったとしたら
それは、内側からのメッセージではなくて、マインドからのメッセージという
ことになります。

迷ったときに、その答えを内側からすぐに受け取りたいと思いますが
まずは、内側の自分に対して、質問をポーンと投げておく感じが大切な気がします。

私は、たいていの場合、すぐに答えが出てくるというよりも
次の日に散歩をしているときや、しばらくたってから買い物をしているときなど
まるで準備されていないときに、その答えがやって来るような気がします。

ぼんやりとしたところから、湧いてくるような感じ。
けれども、自分の中心軸に添っていて、本当にそうだ…という感じ。

私の先生は悟りを得ている方ですが、実際はとても実際的で、具体的です。

勿論、直感も大切ですが、それ以上にしっかりと、この日常世界に
根を下ろしていることが、本当の精神世界に生きる事のように思います。

今日は、自戒をこめて…

今日の1枚。
070910_2

本当は、昨日の1枚。(笑)
上野の博物館前で写した写真です。雲の様子が、秋空ではありませんね。

こんな風に空が開けているところが、大好きです。

一人で、フラリと大好きな上高地に行きたいなぁ~…と思っています。

日帰りもバスなら可能なんですね。

上高地は、本当に美しい場所だと思います。

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見返りを求めないこと

アメリカのアシュラムにいたとき、
瞑想の前に15分間の短いヨガストレッチを教えることになりました。
(もちろん、英語です!)

今なら、そんなに恐ろしくはないのですが
その頃は、人前で教えることはほとんどありませんでしたし
それに加えて、英語で…という2倍の努力が必要でした。

アメリカ人の友人に丁寧にコーチをしてもらい、その朝を迎えました。

終わったあとで、ホールで先生に会う時間があり
先生から何か褒めてもらえるのでは…というそんな期待を持ちながら
ダルシャンをしました。

ヨガではダルシャンと言って、一人ひとりが先生の前に進み出て
床に座って頭を下げるという修行があります。
先生に向かって頭を下げるのですが、そこには自分の内側にある神聖さを
敬うという意味があります。

私が先生の前に進み出ても、お辞儀をした頭を上げて先生を見ても
先生は何もおっしゃいませんでした。
何よりも、私の顔すら、見て下さいませんでした。

私は、悲しい気持ちで部屋に戻りました。

朝食を食べに、ダイニングに行くと アメリカ人の友人が
『今日、あなたは先生のために、何かをしたの?』と聞いてきました。

私は、ビックリして『どうして?』と聴くと、
彼女は、ダルシャンの間、私の真後ろに立っていたのだそうです。

『あなたが先生にお辞儀をしているときに、先生はあなたのことを
本当に優しい目で、まるで有難う…って言っているみたいに、見ていたから』
…そう言うのです。

『あぁ~! 心から捧げるということを忘れていたなぁ~
見返りを求める私の気持ちを、先生はそうではない…と教えて下さったんだ』
…そんな風に思って、心がシンとして静かになりました。

私は、そんな風に一つ一つ、本当に丁寧に先生から学びました。

沢山教えていただいたことを、最近になって、思い出すことが良くあります。

そして、今、思い出すと、その時の自分が本当に幼くてどうしようもなく
エゴの固まりだったことが、恥ずかしくなります。

それ以上に、今も何も成長していない自分に気付き、情けない気持ちになります。

自分に対して、丁寧に、自分と向かいあう事を始めるように、少しでも成長する為に
また明日から頑張ろう…って思います。

明日は、また新しい出発の日ですね!
また明日から頑張ろう!!!

今日の1枚。
Natarajspring アメリカのアシュラムの玄関です。

目をつむっていても、歩けるくらい
何度も何度も過ごした場所です。

また、いつか行けるときがあるかしら…と
思います。

もう少し、夫のそばで修行を重ねて(笑) 次に行くときには、新しい自分になって
新鮮な気持ちでアシュラムに行きたいなぁ~と思います。

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